2018.6.8 もりのようちえん平日開催に向けて ~森遊び&アウトドアクッキング~

今晩はスコールのような雨が降りましたね。

日中は曇り空でしたが、暑くもなく寒くもなく、森ではとても心地よい空気が流れていました。

朝、集合して挨拶の後に、子どもたちに聞きました。

「今日は何をしようか?ピザを作りたい人?スープを作りたい人?森遊びに行きたい人?」

「もーりーあそびーー!」

と全員一致でまずは森へ。森に遊びにいくという感覚がなんだかワクワクしますよね。

森に入る前に、保育の先生が赤い実を発見して教えてくれました。

虫メガネを持参した男の子はさっそく虫メガネで観察。

赤い実は桜の実で、酵素ジュースを作れるということなので、みんなで収集することにしました。

赤い実を収集している背景に大きな穴があるのですが、、、

なんと縄文人が竪穴式住居を建てた跡だそうです。この穴は何だろうと常々思っていたのですが、縄文人がこの空間に住んでいたとは驚きました。いくつもの穴が空いているので、集落のような感じだったと思います。

調べてみると、この地に人が住んでいたのはおよそ八千年前頃、ここで暮らした人々は、網で魚をとり、貝殻で飾った土器で煮炊きをしていたそうです。古代でも、刀や弓で武装し、絹を着、銀色に輝くアクセサリーを身につけた人々がいて、農耕・馬産に従事し、高度な文化をもっていたことが明らかになっているそうです。

実際、八戸の是川遺跡博物館で当時の生活用具を見ると、漆器や土器は今よりも芸術的で、「モノ送り」なる儀式があって、新品の漆器や土器や武具を自然に返して、自然に感謝と尊敬の念を伝えるような考え方があったと聞き感動したことを思い出しました。他の国では神様は人ですが、日本は八百万の神、自然が神様という考え方からも「モノ送り」があったと聞きました。

子どもには分かりやすく、昔の人が住んでいたお家の跡だよと伝えましたが、せっかく遊びの中で触れられる歴史の教材なのでもっと丁寧に分かりやすく伝えられたらと思います。

 

二歳、三歳、五歳と年齢がばらばらな子どもたちはそれぞれそのペースで森へと進んでいきました。

森遊びといっても一緒に遊ぶこともあれば、別々の興味のままに道草をしながら、気になるものについてじっくり観察したり、歩くのがゆっくりだったり、お母さんに抱っこしてほしかったり、それぞれの大切な今を自分のペースで楽しむことが一番かなと思いました。

森では二週間前に見ていた「モミジ苺」が可愛い実をつけていましたよ。オレンジ色の可愛い実は、ぷつぷつと小さな粒が集まっていて、食べると甘酸っぱい味がしました。モミジ苺が群生していたので皆でいちご狩りをしてジャムにすることにしました。

男の子は収穫するそばから、美味しかったようでパクパク食べていました。たくさん食べるとお腹を下すそうなので気を付けてくださいね。二歳の女の子は、はじめて来たところだったので、抱っこされながら少し収穫しました。五歳の女の子は赤い実や白いお花も飾り付けながら沢山のモミジ苺を収穫してくれました。お姉ちゃんは森からの帰りに、収穫の少なかった二歳の女の子に分けてあげていました。

 

収穫したモミジ苺を綺麗に洗って、お鍋でお砂糖とクツクツ煮ました。コーヒー用に準備していただいていたお砂糖を急遽使ってのジャムづくり♪お砂糖も子どもたちが一つずつ入れたり、準備にかき混ぜたり、味見でなくなりそうになったりと楽しいひと時でした。

八戸の郷土料理に「いちご煮」があります。ウニとアワビを用いたとっても美味しいお吸い物です。ウニの卵巣の赤みが、野イチゴの果実のように見えることからの命名と聞いていましたが、しっくりとは来ていませんでした。「苺」と聞くと赤いイメージだし、「野イチゴ」であってもブラックベリーやラズベリーのようなイメージ。今日「モミジ苺」を見てやっとしっくりときました。昔の人もこの野イチゴを食べて、ウニとアワビのお吸い物にそんな風に名付けをされたのだろうと。この地に住んでいた縄文人も野イチゴの甘酸っぱさや、ウニをこの時期に楽しんでいたのかもしれませんね。

メインのピザも皆で協力して作りました。粉を計って、こねて、材料を切って、のせて焼く!それぞれの出来る事を少しずつ経験しながら作りました。ピザにいれる砂糖は、今日作りたてのモミジ苺のジャムを代用していれましたよ!

二歳の女の子は、普段からお母さんと台所で料理をするのが好きだそうで、材料をボールに入れたり、ピザの具をのせたり、彼女がで出来る事を丁寧にやる姿に関心して、普段からお母さんが時間を作って台所育児をされているのだろうと感じました。大人がパパッと作ったほうが早いし、美味しいのかもしれないけれど、料理に参加して、自分が作ったという達成感を味わい、料理も楽しむというのは、小さいうちから経験しておくことってすごく大切なことだと思います。

余談ですが、先日朝食におにぎりを作って食べ終わった時に子どもから「作ってくれてありがとう」と言われました。そんなこと初めて言われたのでびっくりしたのですが、とてもとても嬉しかったです。アウトドアクッキングでこうして皆で料理を作って食べた経験がそう言わせたのか、その時の気分なのかは分かりかねます。でも、この経験はその子の中で確かにプラスになっているはずです。

スープも交代で混ぜて作りました。今日のスープはカレー風味のヒエと野菜のスープ。本当は煮立てる時に混ぜる必要はないのだけれど、何かしたいという気持ちから子どもたちはずっと混ぜていてくれました。

今回三回目の開催で少しずつ変わってきたことがあります。

「ケンカが上手になってきました」

そう表現すると変ですが、最初の頃は泣いてどちらかが拗ねるか、お母さんに抱っこで、ケンカが解決も納得もしないままに、時間が過ぎる事でモヤモヤしたものを残していました。だから、すぐに次のケンカが起きて、さらにヒートアップ。

前回も順番の仕方を決めたりと進歩があったのですが、今回は「なぜそうなったの?」「どうしてそう思ったの?」とケンカが起きた時に双方の子どもたちから話を聞くことができました。すると、不思議なことに、お互いの勘違いだったり、お互い違うことに怒っていたりと、話すことですっきりと納得して、悪かったと思ったら「ごめんね」と言うこともできました。お玉で遊んでいて女の子の頭にぶつけてしまった男の子は、お母さんに注意され、わざとではないけれど本当は悪かったと思っていたみたいなのです。だから、お母さんに言われたから言うのではなく、自分から言いたかったようで、お母さんは見ないでと物陰においやってから、女の子に「お玉ぶつけてごめんね」と言っていました。

小さいうちはまだ語彙も少なく、言葉でうまく表現できません。感情も自分が中心なので、ケンカ等になると相手のことを思いやるということが難しいことのほうが多いです。でも、大人がその子の感情や気持ちを通訳する役割に徹してジャッジしないこと。「なぜ?」「どうして?」と自分でも気づかない感情の扉を開く手伝いをしてあげることは大事だと勉強させてもらいました。

『みんなの学校』の木村元校長は公立大空小学校でひとつの約束だけを決めて、障害のある子もない子も一緒に、当たり前に教育されたことを著書や映画でお話しされています。

「自分がされて嫌なことをしない、言わない」

もし、その約束をやぶった時は校長室で「やり直し」をします。その場にいる大人に、どうしたらよかったのか宣言するそうです。その時大人は良い悪いのジャッジはせずに、子どもの気持ちが整理できるような声かけをするそうです。子どもは自分でも悪かったこと、こうすればよかったこと、やりたかったこと、しっかりとわかっています。もりのようちえんは、自然が先生なので、何も教えることはありませんが、近くにいた大人がジャッジせず、子どもを信じて、成長する学びの機会に手助けするようなことができたらいいなと思います。

   

ピザとスープが出来上がったら皆で美味しく頂きました。二枚作ったピザは、作った人によって固さが違ったけれど、失敗というよりは、どうしてこれは固くて、あれは柔らかいのだろうねと、自分たちで作ったからこそ失敗さえも美味しいし、次はどうしたらいいかなぁと話ながら食べることが楽しかったです。こうしたらよかったのにという過去の話よりも、次はどうしたらいいのかなと未来の話をするほうが子どもも大人も楽しいですよね。

食べ終わった後、二歳の女の子が自分の使ったコップをトコトコと持ってきてスポンジで洗ってくれました。準備も片付けも、大人がお膳立てするのではなく、自分のものは自分で準備して片付けられるような力と知恵もつけてほしい。そう話していた矢先の二歳の女の子の行動に、みんな自分のものは自分で洗うようにしていこうと次の目標も決めました。

二歳の女の子は、きっと料理や台所仕事が好きなのかもしれないけれど、その女の子の背景にはお母さんがいて、ひとつひとつ丁寧に一緒にやったり、楽しんだりされているのだと思います。子どもが良いことをしたら皆その子を褒めますが、その背景にあるお母さんの努力にも拍手を送りたいなと思うのです。

森遊びの時に、モミジ苺と一緒にフキも収穫していました。お昼ご飯には間に合わなかったけれど、山菜採りのルールや、フキの下処理の仕方を教えていただきました。フキって太い茎と細い茎が二本生えていますよね?初心者の私は、ポキポキ大きい茎を折っていたのですが、来年のために細いほうのフキを頂くのがマナーだそうです。紫のフキよりも、緑のフキのほうが美味しいそうです。茹でてあくを抜き、皮をむく作業は大変だけど、子どもと一緒に森遊びをする時の楽しみが一つ増えますね!

お腹がいっぱいになったら、もうひと遊び♪

虫眼鏡が大活躍しました。まつぼっくりも蟻も珍しくはないのだけれど、拡大してみるその姿形が面白いのかな。虫眼鏡をもつことが面白いのかな。

お母さんにべったりだった二歳の女の子も最後のほうはお姉ちゃんに抱っこされて嬉しそうに遊びにでかけていましたよ。

保育の先生は見守ることはもちろんですが、近くにある自然のもので色々な遊びを一緒にしてくれたりします。

今日は、遊具を船に見立てて、保育の先生が教えてくれた釣り竿(木の枝)で魚(松ぼっくり)を一生懸命つっていました。

落ちていた炭で地面にお絵描きも一緒にしてくれました。

水飲み場も水圧が勝手にかかるのか、急に噴き出た水にびっくり大喜びの一面もありました。

一番面白かったのが「木から生えている小枝の葉っぱを引っ張ると上から何かが落ちてくる!?」という遊び。

実際最初は何か落ちてきて当たったのかもしれませんが、引っ張っては、びっくり、引っ張っては、びっくりと面白そうに繰り返していました。たまに発生する空想の世界の遊びと発想は面白いなとつくづく思います。

こんな風に自然の中で遊んでいると、特別な玩具は必要なくて、玩具の枠の中で遊ぶよりも、外の広い世界や自分限りない空想の世界で遊ぶことで、子どもの可能性がぐんぐん広がっていくような気がします。

 

帰りに畑の雑草を抜いて近くの森も探索してきました。雑草を抜くというよりは、バケツにたくさん雑草をためる競争が行われていました。服も顔もどろんこですが、本当に楽しそうに雑草競争していましたよ。

森では白いお花や梅の実を発見しました。お花を頭に綺麗に飾って、梅の実を小さな手に握れる少しだけ大切に持って帰りました。

三粒持って帰った梅の実、帰りの車で「梅ちゃん」と名付けて、梅の話をひとしきりして、お風呂に入れて洗い、湯船に一緒にはいってあたため、綺麗に拭いて、ご飯の時も大切に持っていました。スーパーボールくらいの大きさの梅の実ひとつで、こんなに空想の遊びができるんだと思いました。以前お祭りでスーパーボールすくいがやりたいと駄々をこねたことがあります。スーパーボールのようなものはいくつも持っているし、どうせまたゴミになるのが目に見えているのです。でも、自分で発見して手にした「梅ちゃん」が可愛かったんでしょうね、大切に遊んでいました。

一日あったことを事細かに話すと、毎日一冊の小説がかけるくらいあるそうです。今日の記事も長かったですが、子どもの発見や成長をできるだけ伝えたいと思い書いています。子どもとの一日は小説三冊分くらいありそうです。

(おいらせもりのようちえん ブログ担当 まな)